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フジモリ大統領夫人

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決選投票にもつれ込むのが確実なペルー大統領選で、日本から来た1人の女性が、現地メディアの注目を集めている。チリで勾留中のフジモリ元大統領と結婚した片岡都美さん。選挙の直前、電撃的に婚姻届を出した。
 都美さんは以前から「フジモリ氏の恋人」として、名前はペルーで広く知られていた。だが、情報は少なく、ミステリアスな存在だった。 「サトーミが来た」
 突然の来訪に、地元メディアは熱狂した。空港で、ホテルの玄関で、都美さんが行く先々にはテレビ、新聞各社のカメラが並んだ。結婚情報は、大衆紙の1面を飾った。トーク番組にも招かれた。
 ■政治に熱意
 都美さんは岐阜県多治見市出身。中学卒業後、親の方針もあって単身渡米した。ロサンゼルスの高級クラブなどで働くうち、政財界や外交関係者など幅広い人脈を培った。
 帰国後、20代半ばで知人から、都内のホテルの経営を託されたという。政治に寄せる思いは熱く、『武士道、ここに甦り』(日新報道)などの著書がある。靖国神社の移転に反対する運動にも携わった。
 都美さんによると、知人の紹介でフジモリ氏と会ったのは01年。事実上の亡命生活を送っていたが、日本語があまり分からず、苦労している様子を気の毒に思い、自分のホテルの部屋を貸し与えた。生活費の面倒もみたという。
 在任中の容疑として、軍による民間人殺害への関与など、ペルー当局から22件の逮捕命令が出されていたフジモリ氏は昨年11月、隣国チリからの選挙運動を試みようと日本を出国した。都美さんが旅立ちの意思を伝えられたのは2週間ほど前だった。
 「今は行くべき時ではない」と止めたが、その言葉に耳を貸さず、旅立ったという。直後にペルー政府の要請でチリ当局に拘束された。
 フジモリ氏の勾留先での暮らしぶりはつましいという。テレビやラジオはあるが、ほとんど見聞きしない。趣味は庭いじりとギターだ。
 フジモリ氏はノートに細かい数字を書き込み始めると、時がたつのを忘れる。何をしているのかと聞くと、学校や病院の建設目標数を考えているという。ペルーの貧困の克服法を、数式を立てることで解こうとしているのだ、と。
 「根っからの学者。権力欲というよりも、ペルーという国が、彼にとって最も研究意欲をかき立てられる難しい課題と感じているみたい」
 ■スラムを訪問
 1月にフジモリ氏の立候補がペルー中央選管によって却下された後、同氏の陣営の支持率は低迷していた。都美さんは、ペルー政府から「入国すればフジモリ氏の資金源として取り調べる」などと警告を受けながらも、ペルーを2度訪れ、陣営の集会に参加した。
 リマのスラム街も訪れた。「あなたも一度行けば、私たちがどんな暮らしをしてきたか分かる」。フジモリ氏が常々、そう言っていたからだ。
 水道も電気もない街で、住民たちは「チーノ(フジモリ氏の愛称)だけは私たちを助けてくれた。早く連れて戻って」と請うた。
 都美さんは感極まって涙をこぼした。「彼が10年闘ってきた貧困の意味が、初めて分かった。彼がやってきたことは間違ってなかった」
 多くの知人には、南米入りしてからも結婚を反対されていた。だが、南米の現実が都美さんの思いを固めさせたという。
 ペルーの大手メディアは、フジモリ政権と激しく対立した経緯から、同氏の陣営の動きをほとんど伝えていなかった。だが、彼女の登場で、フジモリ派が再び紙面やテレビに登場するようになった。陣営幹部は「サトミの助けは大きかった」と話す。
 投票日の9日。都美さんはペルーからチリに戻り、フジモリ氏と面会した。フジモリ派は国会議員選では120議席のうち約15議席を得た。
 ペルーに引き渡すかどうか、チリで決定が出るまで数カ月かかるとみられる。引き渡されなければ、帰国の条件が整うまで共に日本で暮らすつもりだ。
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