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ジェンキンスさんは犬のような・・

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拉致被害者曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんは家族で暮らす新潟県佐渡市内で記者会見し、「当初は犬のような生活だった。ひとみと出会って人生が変わった」などと、北朝鮮での生活やこれまでの心境を時折涙ぐみながら語った。また米ノースカロライナ州の故郷にいる91歳の母親に「できるだけ早く会いたい」と訪米の意思を改めて示した。
 ジェンキンスさんは昨年12月7日に家族で佐渡入りした際の記者会見では声明文を読み上げただけで退出した。報道陣の質問に答える会見は初めて。質問は地元の記者会が事前に提出していた。
 ジェンキンスさんは北朝鮮での生活について「つらいことを語りだすといくらでも話せる」と声をつまらせながら、「最初の15年間は犬のような生活だったが、ひとみと出会って人生が変わった。ひとみは私に当局と争うことをやめさせた。幹部も対応が変わり、私を殴らなくなった」と語った。
 02年10月に曽我さんが帰国した後の心境については「妻には北朝鮮に戻ってきてほしかった。金正日(総書記)が私たちを出してくれるとは、夢にも思わなかった」と明かした。だが昨年5月再訪朝した小泉首相と面会したことで、「うまくいけば家族で北朝鮮を出て日本に住めると思った」とも語った。
 北朝鮮を出る直前まで毎日のように「妻が北朝鮮に戻るしか家族再会の方法はない」と言い聞かされていたという。出国する際は「北朝鮮を出たら刑務所に入ることになるが、これが北朝鮮を出て米国の家族に会う最初で最後のチャンスとわかっていた」とも語った。
 拉致被害者については「知っていることは日本政府に話したので、ここでは話せない」と語った。金正日総書記や北朝鮮の現政権については「会ったことはないが邪悪な男。あの政権についてよく言うのは政権の手先だけだ。人々は抑圧され搾取されている」と言い切った。
 曽我さんが12月の会見で「北朝鮮を出ることだけが、夫を米国の母に会わせてあげる唯一の方法と思った」と語ったことについて、「妻が私を愛してくれていたとわかった。妻の言った通り、私は自由になった」と語った。
 会見冒頭には「こんにちは。私はロバート・ジェンキンスです」、最後には「ありがとう」と日本語であいさつ。佐渡での暮らしについて「北朝鮮に40年いたので日本の生活への適応は簡単だった。カレーライスをよく食べ、好物はギョーザ。日本語を少し勉強しているが、ことばの問題はまだ大きい」と語った。
 さらに「仕事をしなければと思う。何をしたいかよりも何ができるかが問題だ。運転免許もとりたい」と、働く意欲を強調した。故郷の家族について「できるだけ早く母に会いたい。いま91歳だから」と再会のための早期訪米を希望した。
 ――佐渡での暮らしぶりは。
 「食事は日本食で、カレーをよく食べる。好物はギョーザ。少し日本語を勉強している。言葉の問題は大きいので」
 ――働きたいか。
 「仕事をしなくてはいけない。何がしたいかでなく、何ができるかが問題だ」
 ――娘たちの将来について。
 「まず教育を受け、商売を学んでほしい。やがては結婚し、家庭を持つだろう」
 ――以前、「北朝鮮は工作員養成のため日本語教師を探していたが間違えて、(准)看護師のひとみさんを拉致した」と発言していたが。
 「北朝鮮は子供たちに日本語と日本の習慣を教える教師を探していた。看護師は必要としておらず、英語を教えるようにと、妻は私のところに連れてこられた。その後すぐ、私たちは結婚した」
 ――北朝鮮で、どのような人に英語を教えたか。
 「平壌の東にある軍事大学で、兵士に英会話と聞き取りを教えた」
 ――曽我さんが「北朝鮮を出ることだけが、夫を米国の母に会わせる方法と思う」と話しているが、どう思ったか。
 「妻が私を愛していることがわかり、頼りになると思った。妻が話した通り、私は自由になった」
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