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東知事、民主党にムカッ!…道路特定財源公開討論会で

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宮崎県の東国原英夫知事が、都内ホテルで道路特定財源の是非についての公開討論会に臨み、民主党の菅直人代表代行と直接対決した。冒頭から東知事はかなりいらつき気味で「民主党さんの態度に不信感を持った」と直前で討論会の時間が変更されたことにブーイング。討論中も菅氏が司会役として議論を仕切ろうとすると、露骨に嫌な顔を見せるなど、盟友である大阪府の橋下徹知事ばりのけんかモードだった。
 討論会の冒頭から、東国原知事は激しいけんまくでまくしたてた。
 「3~4日前に民主党から時間変更の申し出があった。私はフルタイムで動いている人間。スケジュール調整は本当に困難だった。断れば逃げたと言われるし、ましてや、交通インフラが整ってない宮崎からここに来るわけですから」道路特定財源の確保と暫定税率維持を訴える東知事は、皮肉を込めて言い放った。
 当初の予定では、討論会の開始は午後1時。しかし国会の本会議も、午後1時スタートとなったため、民主党側が2時間前倒しを東知事に要請していた。菅氏としても国会優先はやむを得ないところ。それでも東知事はおさまらない。「意見表明の時間も10分と聞いたが、今日になって7分ですか? 民主党さんの態度に不信感を持ちました」と吐き捨てた。
 険悪ムードの中、司会の小沢鋭仁議員から「時間変更を申し上げたのは事実でおわび申し上げました。ただ持ち時間はもともと7分で、双方とも了解を頂いている」と言われると、にらみ返しさらに不機嫌そうに。テレビのバラエティー番組でのにこやかで低姿勢な東知事は、そこにはなかった。
 その後も怒りはおさまらない。途中、菅氏が論点を変更しようとすると「菅さんが司会進行で進められると困るんですけど」。逢坂誠二議員が「一緒に共闘組んでやらないと、本当に宮崎に道路できません」と発言すると「民主党に誘われているんですか?」とからむなど、最後まで議論は平行線のままだった。
 討論会終了後の会見でも「民主党のやり方にカチンときた」とけんか腰で振り返る東知事。もともと宮崎での討論会開催を訴えたが却下され、代わりに民主党の「ガソリン値下げ隊」が来県。しかし道路事情を視察するといいながら、電車しかもグリーン車を使い宮崎入りしたことにもカチンときていたという。
 さらにその後も菅氏サイドから「宮崎に視察に行くのでスケジュール調整できないか?」と直前になってアポ取り。民主党による東知事の都合を配慮しない再三の行動が、今回の怒りの伏線になっていたようだ。
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ゆかり氏「里帰りの気持ち」…岐阜でお別れ会

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自民党の衆院岐阜1区から東京5区(目黒区、世田谷区の一部)への国替えが決まった佐藤ゆかり衆院議員が、岐阜市で後援会の総会を開いた。事実上の“お別れ会”には2000人が出席したが、ゆかり派の一部県議や市議は欠席。後味の悪さを残す形となった。
 「お世話になりました」と何度も頭を下げるゆかり氏。出席した国会議員らが、ゆかり氏のすばらしさを力説するたび会場は拍手で沸き返った。
 しかし壇上には、当然いるはずのゆかり派一部県議と市議の姿がなかった。総会後、ゆかり氏は「誰々派、というのはマスコミによる造語」と語ったが、関係者によると、欠席した県議らはゆかり氏に「説明不足」などと怒っているという。
 さらに前回の衆院選でゆかり氏の後ろ盾になった松田岩夫参院議員の名前が、壇上の席に「夫」を「男」と間違って張り出されるミスも。
 一方のゆかり氏は、あいさつの最後に「東京5区にお知り合い、ご親族がいらっしゃいましたらご紹介を…」としっかりアピール。郵政選挙時の名ゼリフ「岐阜に嫁ぐ思いで」に言及し「嫁ぐは2度使わない。出身地の世田谷に里帰り、Uターンの気持ちです」とすっかり東京都民モードに切り替わっていた。
 ◆武部氏替え歌で主役の座奪う!? ○…ゆかり氏の「お別れ会」のはずが、主役の座をジャックしたのは武部勤元幹事長だった。漫談風スピーチで25分間しゃべり倒したあげく「それでは一曲…」と「星影のワルツ」を熱唱。「別れ~る~ことは~つらいけど~」と歌い始め、最後は「今でも好きだゆかりさん~」と締める替え歌を披露した。
 続けて会場全体に隣の人と手をつなぐよう催促。ゆかり氏に「ゆかりタン!」と呼びかけ、自ら手をつなぐと、手を揺らしながら「おててつないで~」と、「くつがなる」の替え歌を歌い、「じゃ~ね~」と手を振って帰っていった。
 武部氏のパフォーマンスと言えば、2005年総選挙のホリエモンに関し「我が弟、我が息子です!」発言や、06年千葉7区補選の「最初はグー、サイトーケーン」など有力候補者を次々と落選させた過去があるが、地元関係者は「あの人はいいなぁ、いつもあんな風で…」とつぶやいていた。

佐藤ゆかり議員の2年半 自民に「難題」、残された不信感

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「相手の方は“離婚”して帰っていただける」。一月二十七日に開かれた自民党、野田聖子元郵政相(岐阜1区)の後援会の新年会。村瀬恒治会長は勝ち誇った表情であいさつし、二年半前に「嫁ぐ思いで」と岐阜入りしながら、東京5区転出が濃厚になっていた佐藤ゆかり氏(比例東海)を皮肉った。
 同じころ、佐藤氏の支援者は「岐阜に残ってほしい」との思いから署名活動を行っていた。主導した岐阜市の堀敏夫さんはこの発言に「自民の票をなくすだけ」と不快感を示した。
 署名は高校生や市外在住者も含めて一週間で21,704人分が集まり、党本部に届けた。しかし2月8日、佐藤氏は野田氏と並んで党本部で会見、東京5区転出を公表して笑顔を見せた。
 会見の中継をテレビで見ていた堀さんは「本人もすっきりしたのではないか。岐阜の後援会は残す。野田さんは岐阜1区以外に行き場所がないから」とあきらめ顔。夜中には佐藤氏と電話で一時間以上も話し込み、佐藤氏の判断を受け入れることにした。
 会見では野田氏も「ここ数年、世界平和などについて誰よりも話をしたいと願ってきたのが佐藤さん」と強調。野田氏は後援会の新年会でも「佐藤さんが岐阜に来て私が頑張ってこなかった部分が分かった」と謙虚な姿勢を貫いている。
 しかし党本部や一部の後援会役員の主導で、歩み寄りが“つくり出されていく”流れに、地元では拒否感が根強い。二〇〇五年の郵政選挙で佐藤氏が獲得した八万千百八十九票がどう動くかが注目されるが、佐藤氏派の地方議員からは「二人にまんまといっぱい食わされた。支持者に説明できない」「野田氏陣営から自分の選挙で受けた仕打ちは忘れない」との不満が漏れる。
 佐藤氏が支部長の岐阜1区支部役員は「JR岐阜駅前の岐阜シティ・タワー43や幹線道路の事業を進めてくれた」と佐藤氏の実績を評価。「本音では東京に戻りたかったんだろう」として党本部の裁定に表立って反対はしないが、「次は野田さんに投票するか? そう簡単じゃない」とほのめかす。
 前回の郵政選挙で、岐阜1区の投票率は小選挙区制になって最高の70・45%を記録し、佐藤、野田両氏で投票者の八割近くとなる約十八万票を獲得。本社の出口調査によると、無党派層は42%が野田氏、27%が佐藤氏に投票した。次回はこれが計算できない上、党本部の事情による公認候補の差し替えでしこりや不信が残っており、対処を誤ると自民には深手になりかねない。党県連の猫田孝会長代理は「佐藤氏派の議員や後援会幹部らをいろんな角度から説得してまとめていかないと。県連として誤りのないようにきちんと対応する」と手綱を締める。
 佐藤氏は岐阜市文化センターで新年会を開き、地元支持者らに東京5区への転出を説明する予定。
 佐藤氏にほれ込んで街頭演説に通い、五十人以上の知人を陣営に紹介してきた岐阜市の主婦は、こんな気持ちで出席するという。「今はもう自民党には一切かかわりたくない。まず佐藤さんの岐阜への正直な思いを聞きたい」

佐藤ゆかり議員の2年半 自民の亀裂、野党の躍進招く

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「恩返ししたい。ガス欠でも走り続ける」。2007年4月の岐阜県議選。当時、自民党副幹事長だった佐藤ゆかり氏(比例東海)は、盟友の笠原多見子県議の決起集会で声を張り上げた。選挙中は付きっきりで街宣に回り、「天下分け目の選挙。精いっぱい応援します」と支援を呼び掛けた。
 佐藤氏はその直前の告示日に、予定していた笠原県議の出陣式を欠席、物議を醸していた。実は佐藤氏はその日、今回転出が決まった東京5区と選挙区が一部重なる都議補選などの応援に向かっていた。佐藤氏派の陣営からは「東京の選挙区に移る気ではないか」と不満が漏れた。
 報道陣に囲まれ、佐藤氏は「党から応援の割り振りを受けた。前日まで戻るつもりだったが、ご迷惑をかけた」と説明した。しかし、佐藤氏の関係者は「党本部からは『地元優先で』を条件にしての応援要請だった」といぶかる。
 05年の総選挙により、岐阜市の地方議員は野田氏派と佐藤氏派に割れた。この県議選では五人の自民候補が出馬し、両氏にとって自分に近い候補を当選させるのは重要な課題だった。告示日に各陣営を回っていた野田氏は、親しい市議から佐藤氏が岐阜にいないと知らされ、驚いた表情を見せた。その後、こんな会話を交わした。
 市議「佐藤さんも党でいろいろとあるんだな」
 野田氏「でも地元候補の応援も党務です」
 市議「これからしっかり応援するんだろ」
 野田氏「今日は大事だよ」
 当時、野田氏は「副幹事長の党務って? みんな地元に帰る。私は大臣の時だって戻ってきたんじゃないかな」と佐藤氏の行動に首をかしげた。佐藤氏が「私が岐阜1区支部長」と自分に従うよう主張していたことから、「肝心な初日にいない。そんな支部長いるのかな」とまで語った。
 この県議選では五人の自民候補のうち、野田氏が後援会を挙げて支援した現職が落選した。内部の亀裂が深まる自民をよそに、共産新人は16,400票を集めて二位、民主新人は15,900票で三位で当選した。佐藤氏は「自民があぐらをかいていてはいけない。無党派層の対策が必要」と問題を提起した。
 三カ月後の参院選岐阜選挙区では、藤井孝男元運輸相が自公推薦で当選したが、岐阜市内の得票数は69,934票。民主公認で当選した平田健二氏の83,259票を下回った。自公が三分の二以上の議席を獲得し、岐阜1区で実質的に二人の自民候補を当選させた郵政選挙から二年弱。1区の公認争いを早急に決着させ、挙党態勢を整えなければ、とても次の選挙を戦えないことは、もはや誰の目にも明らかだった。
 今年一月三日、野田氏は岐阜市の伊奈波神社前での演説で「自民の批判票が多すぎる」と危機感を訴えた。「公認問題の解決は早い方が修復しやすい。切り捨てではなく、それぞれが活動できる場はあると信じている。佐藤議員を失ってはならない」と主張した。
 「勝てる候補」を公認候補の選定基準に党本部が野田氏を岐阜1区、佐藤氏を東京5区に振り分ける方針を決めたのはそのすぐ後だった。

佐藤ゆかり議員の2年半 支持基盤、広がらず

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自民党の野田聖子元郵政相と佐藤ゆかり衆院議員(比例東海)が保守を二分して公認を争った“岐阜の乱”は、佐藤氏が東京5区に転出することで決着した。「岐阜県に嫁ぐような思いで」。2005年8月、佐藤氏は縁もゆかりもない岐阜の地で政治家人生を全うする決意をにじませた。それからわずか2年半。佐藤氏の足跡を追った。
 「党人として党の決めたことは筋をもって受け止めます」。自民党本部で、野田氏と並んで会見に臨んだ佐藤氏。党本部の裁定に不満はのぞかせず、調整に骨を折った関係者への感謝の言葉をしきりに口にした。
 党本部は野田氏を「勝てる候補」として岐阜1区の公認に選んだ。県議時代から約20年間、岐阜市で活動を続け、後援会員は1万人に達した。市内の49校区ごとに後援会支部を持ち、秘書がこまめに支持者を回って地盤を固めてきた。
 2005年の総選挙で佐藤氏は8万1189票を獲得。野田氏に1万5000票差まで迫った。本社の出口調査では自民支持者の6割近くが佐藤氏を支持。複数の自民関係者は、県議や市議の支援に加え「松田岩夫参院議員の力が大きかった」と口をそろえる。佐藤陣営を応援したことで大臣の椅子を射止めている。
 1996年の総選挙で当時新進党だった松田氏は野田氏に約4000票差で敗れた。松田氏の有力な支持者の男性は「佐藤さんが来て、松田対野田の戦いが再燃した」と当時の様子を振り返る。岐阜市のある議員は「松田さんから直接、佐藤さんを支持するよう頼まれた」と打ち明けた。
 佐藤氏は岐阜入りから1カ月足らずで野田氏の強固な地盤に風穴を開けたかに見えた。しかし、自前の組織づくりは進まなかった。松田氏のつてで佐藤氏の後援会長を引き受けた市内の経営者男性は選挙後しばらくして辞任。「佐藤氏は比例区名簿1位で当選が決まっていたし、頼まれてやっただけ。東京5区転出についてコメントはない」と口を閉ざす。
 後任には市内の会社社長らの名前が挙がったが、いずれも固辞した。野田氏の後援会長は地元を代表するコンクリート会社社長。佐藤氏の関係者は「後援会長は議員の代わりに矢面に立つこともある。誰も火中のクリを拾おうとしなかった」とため息をついた。06年の佐藤ゆかり後援会の収支報告書では、代表者の欄に東京の秘書の名前が記されている。
 野田氏のように佐藤氏も市内の49校区ごとに後援会組織を立ち上げようとしたが、できたのは7校区ほど。10校区程度は準備中だ。後援会員は5000人を超えているが、野田氏の半分。最近まで、秘書もなかなか定着しなかった。
 小泉純一郎元首相が送り込み、“刺客”と呼ばれた佐藤氏は「私が支部長で、次期衆院選の公認予定者」と訴え、地元をまとめようとした。佐藤、野田の両氏を間近で見てきた党岐阜市支部幹部は「党本部の威光を振りかざしている印象を与え、反発を招いた」と指摘。「肝心の本人が何を考えているのか伝わらなかった。『私も仲間に入れてほしい』と言えればよかったのに。都会的な魅力はあるが、地方ではなじまない」と漏らした。
 06年12月に野田氏が復党してからは岐阜市議も距離を置き、今や佐藤氏だけを支持する自民市議は24人のうち3人になった。その1人は東京5区への国替えが決まり、失意を込めてつぶやいた。「党本部の応援がなければ、もうどうしようもない」

ゆかり氏「やる気」…笑顔で東京5区嫁入り

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自民党は次期衆院選の東京5区(目黒区・世田谷区の一部)で、佐藤ゆかり衆院議員を公認候補とすることを内定した。同党の古賀誠選対委員長が、党本部で行われた東京都連の会合で、ゆかり氏の受け入れを申し入れ、了承された。野田聖子元郵政相と女の戦いを繰り広げた岐阜1区に別れを告げ、新天地へ。両者同席の記者会見を行い、正式発表される見通しだ。
 ついにピリオドが打たれた。党本部で都連幹部や、目黒区、世田谷区の都議らが出席する会合が行われていた席に古賀氏が突如姿を現し、会合に参加した。数分後、部屋の外に出てきた古賀氏は「東京5区は佐藤ゆかりさんでお願いしたいと申し入れた」と明かした。
 会合では都議らが、石原伸晃都連会長らに「佐藤ゆかり議員を受け入れる用意がある」との、東京5区の総意を報告。これを伝え聞いた古賀氏が「直々にお願いしたい」と会合に足を運んだという。石原氏は会合後「第5選挙区支部の候補者として、佐藤ゆかり議員が今の段階で内定したと理解している」と語った。
 ゆかり氏は本会議後、穏やかな笑みで「まだ党本部、執行部か ら直接下りてきていないんです。事実を確認とれ次第、しっかりコメントさせていただきたい」とした。
 「岐阜に嫁ぐつもりで」と、落下傘出馬した2005年の郵政選挙から2年半。地元の地方議員をも巻き込む女の戦いが注目を集めた。1月、岐阜1区の公認候補は「野田氏に内定」と報道され、ゆかり氏の国替えは決定的に。転出先には、引退する小杉隆元文相の東京5区が浮上した。
 ゆかり氏は世田谷区出身で、全国的な知名度も強み。国替えには、同選挙区の受け入れ態勢が整うかどうかが鍵を握っていた。関係者によると、同区では公認候補を5人に絞り、ゆかり氏と大塚拓衆院議員が有力に。最後はゆかり氏自身が見せた強い「やる気」が決定打になったという。
 会合に出席した都議は「昨年12月から何度も話し合いを重ねてきた」と党本部主導ではなく、あくまで東京5区の総意でゆかり氏を受け入れることを強調。しかし、結局は1年以上前から党本部が検討していた「ゆかり氏は東京5区」のシナリオ通りになった。
 党本部ではゆかり氏、野田氏、岐阜県連、都連幹部らが集まり、一連の経緯と公認を確認してもらう方針。その後、ゆかり氏、野田氏同席の“握手会見”を開く予定と言う。
ゆかり氏の“再嫁ぎ先”決定を受け、ゆかり氏を支えた岐阜1区の支援者らは複雑な心境を訴えた。ある男性は「先生の実績をたたえ一生懸命支えてきた。党本部のやり方にはいささか不満が残った」とした。支援者らは1月下旬から寒風の中「岐阜から離さない! 佐藤ゆかりを」ののぼりを掲げ、国替え反対の署名活動を展開。約2万1700人分もの署名を党本部に提出した。この都連の内定がなければ、活動を続ける予定だったが「これでは意味がなくなってしまう」と肩を落とす。「『それでも私は岐阜に残りたい』という言葉を、待っている気持ちもあったが…。先生には説明責任があると思う」とも。11日には岐阜市内でゆかり氏のパーティーが行われるが「この状況で人が集まるのか」と困惑する人もいた。
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