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横峯さくら、感謝の初メジャー 「父がいたから…」

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リコーカップ最終日、前日首位の横峯さくらが6バーディー、1ボギーの67と伸ばし、通算11アンダーの277で優勝。さくらパパの良郎さんとの親子の力がかみ合って、初の国内ビッグタイトルを手にした。賞金1500万円と3年間の特別シード権も獲得した。宮里藍や、賞金女王・大山志保を寄せ付けない、大会史上最多タイの7打差をつける独走V。7月のベルーナレディース以来、4カ月ぶりの今季3勝目ツアー通算5勝目だった。 
 18番グリーン上で、さくらはキャディーをしていた父の良郎さんに自ら手を差し出し、がっちりと握手した。優勝インタビューでさくらは「父がいてくれたから勝てたかなと思う」と感謝の言葉を口にした。普段はコース上でも口げんかをする間柄だから、周囲を驚かせた。
 父は「『一応、建前上ね』って言いよったよ。『おまえも大人になったなぁ』って言ってやったよ」と苦笑したが、そこには強いさくらがいた。パワーをひけらかさず、静かにバーディーを重ねていく。今までと一味違うさくらだった。
 プレーに必死さが漂う諸見里に対し、余裕が見られた。4番では3メートル残したパーパットをきっちり沈め、6、7番で3メートル、2メートルの連続バーディー。9番パー5では「5番ウッドで打とうと思ってたんですが、ボールのライがすごくよかったので」という判断でドライバーを採用。グリーン手前エッジまで運んで、4つ目のバーディーにつなげてみせた。
 「今年は技術面、メンタル面、いろいろ自分の中で成長できた部分を実感している。ラウンド中の状況判断もその1つ」
 この日は前日降板した良郎さんがキャディーに復帰したが、距離の歩測、ライン読みを自分自身で行った。さくらは「今年に入ってからそれを1人でやるようにしてきたのが、一番成長につながったのかなと思う」と話した。
 今月14日にテレビ番組収録で青木功から、もらった金言を生かした。「攻める気持ちを忘れるな、と言われた。それとパターをもっと短く持って、ひじを少し伸ばすように構えた方がいい…とアドバイスをもらったのが、すごく大きかった」という。
 今季ツアー最終戦でのぶっちぎりV。公式戦の大舞台で「年間3勝」の公約を果たした。「テレビインタビューでつい、来年は4勝って…。言っちゃったからには、頑張ります」。こう言って笑うさくらは海外挑戦も視野に入れ始めた。「予選会を受けることまでは考えてませんが、出られる試合は出ていきたい」。良郎さんによると、現在、来年2月の豪州・ANZレディースマスターズ、米フィールズオープンの2試合の出場を予定している。さくらの進化は止まらない。
◇父・良郎さん「成長してる」
 かつては、良郎さんが改造した小型バスに寝泊まりしながら試合を回っていた。常にそばにいたからこそ今でも、さくらのことを一番、理解している。
 この日も要所で父親の助言が効いた。13番と唯一ボギーをたたいた16番では「ポカをして、イライラしそうになった」という娘に「最終日17、18番連続3パットで自滅し、V逸した先週と同じ失敗を繰り返すのか」と諭したという。この一言で横峯はわれに返り、冷静な気持ちになることができた。
 「本当にうまくなったよ。成長してる。ドライバーを2本入れて使い分けるようになったこと、パターの持ち方を変えたこと。これが勝因だな」と良郎さん。
 さくらパパは、軽妙なトークができるものだから、テレビのバラエティー番組などでも引っ張りだこ。娘の優勝スピーチを背中越しに聞きながら「これからテレビ番組の仕事があるんだ」と、恥ずかしそうにコースを後にしていた。
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真央、見ちゃダメ

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フィギュアスケート女子の浅田真央=愛知・中京大中京高1年=がグランプリ(GP)シリーズ最終第6戦・NHK杯(30日開幕、長野)に出場するため、新拠点の米国ロサンゼルスから成田空港に帰国した。GPファイナル(12月14日開幕、ロシア・サンクトペテルブルク)へ進出するには負けられない一戦に向け、北海道内のリンクで完全非公開の国内キャンプを張る。
 もう、負けられない。天才少女史上初の「真央のカーテン」が敷かれる。渡米した8月28日以来、約3カ月ぶりの帰国。茶のパーカーに白のパンツを合わせた真央は、姉の舞と2人で到着ロビーに姿を見せると「日本が恋しかったのでうれしい」と第一声。しかし乗り換えの飛行機で向かった先は地元・名古屋ではなく、北海道。NHK杯に備えた完全非公開のミニキャンプを張る。
 「完全非公開」ということで、一切の取材を断る方針。「試合前の大事な時期に集中したい」という真央本人の強い希望があるという。「愛犬エアロと本当は一緒に遊びたいんですけど、会えないんで…」。ちょっとだけ寂しい表情を見せたが、「GPファイナルに行くためには、優勝しないといけないと思う」と力を込める。帰国のたびにCM撮影やテレビ収録など、多忙なスケジュールが待っていたが、今回ばかりは周囲の雑音をシャットアウトする。
 フリー演技を“改造”した。前戦スケートアメリカではショートプログラムで首位に立ったが、フリーでミスが目立ち総合3位に沈んだ。大会後は「課題のフリーの方を毎日終わりまで通しで滑っていた」。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を2度入れられるようプログラムに幅を持たせていたが、1回のみに専念するジャンプ構成に変えた。貸し切りのリンクで時差調整を図りつつ、今季から師事するラファエル・アルトゥニアンコーチと集中的に滑り込み、最終チェックを行う。
 スケートアメリカと3月の世界ジュニア選手権でそれぞれ敗れた安藤美姫と金妍兒=韓国=は、先のフランス杯で一足早くGPファイナル進出を決めている。「うまい選手がいい成績を出しているので、私も頑張らないといけない」。ライバルにリベンジできる舞台に真央も駒を進めたい。
 約1年ぶりの国内公式戦に「日本なんで頑張らなきゃいけないと思います」と真央。名古屋のエアロと遊ぶのは勝ってから。喧騒を離れた北の大地で自らを研ぎ澄ます。

崖っぷちの尚子

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東京国際女子マラソンで3位に終わった高橋尚子が「がけっぷち」の心境を明かした。一夜明けた20日早朝、高橋は皇居周辺で軽めの練習をした。来夏の大阪世界選手権の代表権を懸けた大一番で惨敗。次は再び世界選手権の選考レースに挑むのか、一発勝負で08年北京五輪挑戦かをめぐり、チームQ内でも意見が真っ二つに分かれていることを明かした。最終決断を下す高橋には、北京五輪への試練が続く。
 惨敗から一夜明け、高橋は昨年の東京国際翌日と同様、早朝のジョギングを行った。晴れやかな笑顔を見せた、昨年の復活Vから1年。今年のチームQは前日のショックを引きずっていた。高橋は「思ったほどダメージはなかった。でも断がい絶壁の状況になってしまって」と神妙に言った。
 前日はレース後の会見で引退を否定し、北京五輪への挑戦続行を表明した。そうなると注目は、次回のレース。この日、高橋は「まず世界選手権をまた狙うかどうか考えたい」と語り、選考レース再挑戦の可能性も示した。メダルかつ日本人トップで北京五輪の切符が手に入る、北京への最短コース=大阪世界選手権の魅力は捨てがたいのだろう。
 だが土佐に敗れた今、世界選手権を目指すなら高橋に残された道は、レース間隔を考えると来年3月の名古屋国際しかない。ただ仮に成功しても今回の東京から世界選手権まで10カ月で3レースという、無謀ともいえる日程を強いられる。
 ならば世界選手権を捨て北京五輪の国内選考レース(07年東京国際、08年大阪国際、名古屋国際)の選択肢が考えられる。ただこの一発勝負も、レース間隔の問題や、08年の選考会なら負ければ即終戦-のリスクも伴う。
 レース後の前夜。チームQの4人と今後についての“緊急ミーティング”を行い、2択について4人の意見は2対2で分かれた。チーム内はもちろん、最終決断を下す高橋本人も揺れている。「すぐには結論が出ない。1カ月以上はかかる」と高橋。慎重に判断するつもりだが、いずれにしても、北京へのいばらの道が待ち構えている。

辛光洙

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辛光洙(1929年6月27日生)は、日本人拉致に関わった北朝鮮工作員である。
静岡県新居町出身。日本名は立山富蔵。太平洋戦争終結後に北朝鮮に移住。1950年に北朝鮮義勇軍に志願入隊。1954年にブカレスト工業大学予科入学、その後機械学部を卒業、技師資格を取得。日本語、英語、朝鮮語、ロシア語など4ヶ国語を話す。
1973年に能登半島から日本国内に不法入国し、以後東京、京都や大阪に居住、また拠点とし対南工作を行っていた。そして、1980年6月に宮崎県青島海岸で大阪府に住んでいた日本人調理師原敕晁さんを拉致、同人になりすまして海外渡航を繰り返していたが、1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕された。当初は死刑判決を受けたが後に無期懲役に減刑。1999年12月31日、ミレニアム恩赦で釈放され、2000年9月2日、「非転向長期囚」として北朝鮮に送還された。その後、北朝鮮では英雄扱いされている。

日本の警察は辛光洙を国際指名手配し、北朝鮮に身柄の引き渡しを求めている。

2005年12月30日、先に述べた調理師原敕晁さん以外にも、現在帰国している地村保志さん、蓮池薫さんの被害者や、新潟県新潟市で拉致された13歳の女子中学生横田めぐみちゃん等の拉致に、辛光洙と「朴」と名乗っていたチェ・スンチョルが実行犯として関わっていたことが明らかにされ、2006年2月23日、国外移送目的略取と国外移送の疑いで再度逮捕状を取得。同3月3日、重ねて辛光洙を国際指名手配した。

在日韓国人政治犯釈放の要望書について
1989年、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人の政治犯29名について釈放を求めるという趣旨の要望書が、当時の社会党、社民連、公明党、無所属の議員有志ら133名の署名とともに韓国政府に提出された。このとき釈放を要望した29名の中に辛光洙の名が含まれていたため、金正日が日本人拉致を認めた2002年9月以降、署名した上記の国会議員らが安倍晋三などの保守派政治家からの非難の対象となった。

要望書に署名した国会議員

日本社会党
衆議院 阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄、
参議院 青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎、

公明党
衆議院 小川新一郎、鳥居一雄、西中清
参議院 猪熊重二、塩出啓典、和田教美

社会民主連合
衆議院 江田五月菅直人
参議院 田英夫

無所属
衆議院 安井吉典(社会党系)
参議院 青島幸男宇都宮徳馬、喜屋武眞榮、山田耕三郎

要望書の内容
私どもは貴国における最近の民主化の発展、とりわけ相当数の政治犯が自由を享受できるようになりつつあることを多とし、さらに残された政治犯の釈放のために貴下が一層のイニシアチブを発揮されることを期待しています。在日関係のすべての「政治犯」とその家族が希望に満ちた報せを受け、彼らが韓国での社会生活におけるすぐれた人材として、また日韓両国民の友好のきづなとして働くことができる機会を与えて下さるよう、ここに心からお願いするものであります。
1989年
大韓民国 盧泰愚大統領貴下

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